当たり前を疑う
ブラック校則の廃止が話題になっていた。下着の色指定や黒髪の強要など、不合理で行き過ぎた校則を見直そうというもの。「そりゃそうだろう。時代錯誤だ。」と多くの方が思ったであろう。
しかし、よく似たこと、私達してるよね。
日本人は規範意識が高い国民だと言われる。決められたルールは守らなければならないと考える人がほとんどだ。車があまり通らないごく短い横断歩道であっても、信号が赤なら止まらなければならないと言うだろう。ルールなのだから、守るのが当たり前とされる。
でも、当たり前って、何?
私達の行動には目的がある。学校に行くために歩く。遅刻しないために走る。痩せるために運動する等など。
その信号機が設置された当時、そこは交通量が多かったのだろう。信号機のおかげで歩行者が安全に横断するという目的は叶えられた。
しかし時代は変わり、状況も変わっていく。でも一度決まったルールは変わらない。無目的にルールを守るという目的のためにそうしているということは、多くあるように思われる。
作文教室では、このような当たり前を疑い、いつも当たり前にしていることを、「本当にそうかな?」と考えてみたりもします。
毎日お風呂に入るのは当たり前にしていることだけど、ほんとに当たり前? 昔の人は? 外国の人は? 何のために入るの? メリットは沢山あるけど、デメリットもあるよね。SDGSの観点からは? ムム、なんか当たり前じゃなくなってきたかも。
テーマは単純、バカバカしいかもしれませんが、意外と深いところへ誘ってくれる題材です。
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